寝ついたロバ

朝は蒸しタオルを二つ用意して、一つは背中に当て、もう一つはご臨終場面のように顔にかぶせると、老母のロバが、あ~気持ちがいい、とつぶやく。暮れから寝ついて二か月も顔を洗いに行っていない。けれども寝たきりというには、ずいぶんしっかりしていて、元気よく寝ているような具合なのである。クマから見たこの状況は、ロバの面倒を見る羽目に陥ったことになる。

三食枕元に用意しているが、お昼ご飯はどうだの、スプーンはこれじゃなくてあれだとか、注文が細かい。ここはレストランじゃあありません、何様だと思っておるのじゃあ、とその都度応対していたクマが堪忍袋の緒を切って、うるせえ!クソババア!!!と大喝した。ハイと言ってロバがそれきりおとなしくなった。何とも言えないその場の静寂の中、クマの内面にあって縛られてきた体面も常識も義理と人情もかなぐり捨て去った達成感、そして封印された言葉を解き放った爽快感が沸き上がる。クソババアになり下がったロバは卒寿を過ぎ、対するクマは今年還暦を迎える。この両者間でのクソババア問答はある種の凄味を帯びている。

いったいどこの動物界に、巣立った巣穴に戻って寝ついた親の面倒を見るヤツがいるのか。チンパンジーなどでは群れの中で役に立たなくなった老齢者を味方につけてボスの地位を得るらしいが、こちらはクマである。クマらしく家族というものに執着なく過ごしてきて、子供の面倒は否が応でもみるが、老母を世話するにあたり哀れを通り越して生理的嫌悪感がある。クマというのは子育て以外は単独行動を基本としている。起き上がれないから仕方がない、というのはロバの言い分であるが、クマからすればちっとも仕方がないことなどないのだ。止むを得ずやっているのである。この過剰負担を負担と思わず過ごすのが、ヒトたるクマの修行である。ヒトでは関係性、特に家族間でのしがらみからの学びが満載なのだから。

介護において大切でかつ難しいのは、見て見ぬふりをする見極めにある。クマの職業は理学療法士で、訪問リハビリの仕事を生業にしている。訪問先でできる範囲での機能訓練を行うのだが、どうも首をかしげるようになってきた。介護者に便利に効率よく、被介護者には安楽に環境整備を行うのを見る。背中が起こせる介護用のベッド、ベッド脇にポータブルトイレ、介助用車いすなど。しかし家のロバは、相変わらず畳に布団を敷いて、食事は肩肘ついて半身起こして必死に食べている。食事が済むとくたびれている。トイレには、クマとノラとで、ロバを抱えて運んでいた。いい加減にクマがしんどくなって嫌気がさしてきた頃、ロバが半身を起こして布団から這いずり出てきた。ロバが寝たきりというにはちょっと違う点は、自分から動こうという意志にある。

鍼灸治療にやってくる黒トカゲが、順調!順調!と毎回太鼓判を押していく。身体には必要なことしか起こらない、炎症もプロセス、焦らずゆっくり寝ていれば元通りになる、と。これぞ自然療法の極意といえる助言を奉じて、ロバはひたすらじっと寝ている。膝の関節が、腫れて痛み動かせず立てず歩けない。これも今までロバが生きてきた証であり、結果だというのである。さて、これからの展開は如何に。。成り行きを見届ける他に方策などない。

一口大に割った煎餅の袋とミカンを枕元において、ロバの部屋は日当たりがよく、日向ぼっこしながら文庫本を読んで、なにやら楽しんで寛いでいるようにも見える。太平洋戦争の物語を好んで読む。昭和一桁、戦中育ち。目の前に焼夷弾が落ちて家を焼かれ、年頃にロクな男が残っていなくて、晩婚で3名の子連れとなって離婚して、修羅場くぐりの人生を経て、老いてから仕事もなくなり何もしないでもよい生活になった。仕事がしたいとぼやき続けていた。そして、元気になったらまた仕事がしたいと言っている。どんな仕事だろうか。

夕飯時は、二階のロバの布団の脇にちゃぶ台を置いて、クマとノラが茶碗と箸とスプーンを載せたお盆と鍋を運んでいく。食事中にクマとロバが、クソババア問答をやっていると、傍らでノラがいかにも可笑しそうにクスクスやっている。さすが野良育ちだけあって子どもながらにも、渡る世間のおかしみがわかるらしい。

家の裏山は、鎌倉時代からの切通しがあって、くノ一峠と呼んでいる。峠を行くと、ナンダラ堂という祠があり、向かいの谷底からは火葬場の煙が上がり、姥捨て山に続いている。古の昔ならば、ロバなどとっくに裏山に運んでいくのになあ、とニヤリとすると気持ちにゆとりが生まれる。昨今時代の移り変わりの渦中に生き、常識が吹き飛ばされる光景を眺める日々である。朝のくノ一峠を越えながら、宇宙の采配を想う。