波間のアザラシたち

わかっていても、イナムラガサキを廻って正面に雪の冠を戴いた富士山が現れるたびに、度肝を抜かれ息を呑む。左手を見下ろすと板に乗ったアザラシたちが波間に浮かんでいる。富士山とアザラシを見物するには、この海沿いの道路が多少渋滞してもむしろ好都合である。お昼時はお弁当箱を膝の上に広げて観る。仕事なのだか、遠足なんだか。。道路わきを板を抱えて行く黒装束姿をよく見ると、なんとゴマシオアザラシが大勢いる。昔、クマがほんのオネーチャンだった頃に憧れだったサーファーボーイズが、毛色や体型を変えてまだ波間に漂っているのだ。あの頃は格好よすぎて、ちょっと近寄れたものではなかった。

男の世界であると思う。女は火を焚いて地に足つけて踊っていれば、それで結構という生き物である。地球と直結した身体を持つのが女である。どうも男たちは地に足つけない状況の中で暴れるのが好きなように見受けられる。男と女は違うのだ。体型も歩き方も感じ方考え方行動様式すべて違うのが男女である。だから時として別の世界を覗いてみようという気になる。そして虜になる。

還暦を前にしてクマが、意を決して忍法波乗りを始めたのは、くノ一としての修行である。くノ一である限り、生命続くまで心技を磨き続けねばならない。地面から足を離した状態で身体のバランスをとるのだが、どう見ても曲芸である。観ていると波の上で思う存分に暴れているようなアザラシまでいる。これまで大地に根づく修行を重ねてきて、今度は大地との接触を断ったうえで、地球との繋がりをどう見出すのかという試みは、クマにとって魅惑的なチャレンジである。モーターバイクで林道のジャリ石を蹴散らかして走る時、車体をお尻の下で遊ばしておく感じと多少は似ているかもしれない。

春先の雨で昼頃には景気よく雷が鳴り、今日は心身を休めようとのんびりしていると、ウサギから連絡が来て今から海に行くという。この天候の中をか、というのは一般論で、波があるらしいから行かなくてはならない。ウサギは先達である。何年か前に海辺のカフェで出会った時は、色白で頬が優しくふっくらとしていた。今の彼女の頬は精悍にそげている。何かが彼女を波乗り世界へと駆り立てている。一緒に浜に向かう頃から青空が広がってきた。もうおしゃべりしているどころではない。さっさと黒装束を身にまとい海面に浮かべた板の上に落ち着いた。

ちょっとこの波では、駆け出しのクマにとって、どうしたものかと躊躇せざるを得ない。しかし修行である。水平線から波頭が煌めいて、こちらに向かってくるのを凝視しているアザラシたちの横顔を眺めると、忍びが混ざっている。目つきが違う。板置屋の店主は、実は界隈でちょっと知られた忍術使いである。やたらに漕いでは乗り遅れるクマの前にいきなり件の忍術使いが現れて、すいっとひと漕ぎして波に乗ったと思ったら、波上旋回を始めて視界から消えてしまった。

波に乗り遅れて後ろを振り返ると、すでに次の波が頭の上から覆いかぶさるところまで来ている。為す術がなくて板にへばりついていると押し出されて波に乗っかっている。這いつくばった姿勢からヨシッと立ち上がり、視線を遠くに放つと、家並みの上に虹柱が立っていた。