ノラの家出騒動

野良育ちのノラは、気に入らないことがあると、2~3日分の着替えとおやつにパスモとお小遣いの入った財布を手際よくリュックに詰めて、家出するからねと言うのが癖である。クマは、あらそう。。と応え、ロバからは、いつ帰ってくるの?と聞かれる。しばらく経って、リュックの中身を片付けるのはクマの仕事である。ノラはいつまで経っても家出願望を抱えたまま、気楽な暮らしで家出の口実が見つからない。

金曜日の晩は、夜更かしをしても翌日は休みなので、子どももロードショーを観てよいことになっている。いつもならお風呂に入ってパジャマを着て万全の態勢でTVの前に座り込むノラが、布団も敷かずに服を着たままうずくまっている。クマが訳を訊ねると、夜中の十二時にクラスメートのポチが迎えに来て、それからふたりでプチとの待ち合わせ場所に行き、三名で一緒に家出をすると言う。見ると傍らに、荷物を詰めたリュックとぬいぐるみなどの入った手提げ袋が用意してある。計画的である。

呆れたクマとロバが、寒い、暗い、電車もバスも走っていない、どこに行って何すんだ、ふざけんじゃあない、と口々に諭す。ノラの言うには、ポチが度々家出したいとぼやくので、決行を手助けすることにし、ポチ同様に家庭生活に不満の溜まっているプチがそこへ加わり、東京に言って家を探すという事なのだ。だから、おばちゃん一万円ちょうだい!なに~?!一万円で家借りる~?!どこの家庭で、子どもを夜中の十二時に外へ出すというのだ。やってもらおうじゃあないか。11時過ぎに気がつくと、うずくまった姿勢でノラが眠りこけている。口ほどにもない奴だ。。

週明け月曜日、クマがそろそろ仕事を終える頃に、ポチとプチの母親から立て続けに電話が入った。どちらも子どもが帰ってこないが、ノラちゃんちに遊びに行ってやしないか?と聞くのだ。普通ならば子どもは帰っている時刻である。すぐさま、自宅にいるロバに連絡を取ると、ノラが小動物学校から帰宅してすぐに出かけ、荷物を取りに戻ってきてまた出かけたという。金曜日にやり損ねて、やり直しか~。。クマが仕事場を出て自転車漕いでる間に、プチが持たされている携帯電話からの位置情報がヨコハマ駅を示しているのがわかり、ポチとプチの母たちは、小動物学校と警察に連絡を入れている。

ポチの父親は職業が警察官で、母親は子どもを毎日塾に通わせる他、ヒステリー気味に物を投げつけたりするらしい。これはノラから聞いた話だから、どこまで本当かはわからない。しかし、クマが電話でポチの母に、以前からポチが家出したいとうちのノラに話していたと告げると、ポチの母が、うちの子は子供っぽいところがあってと応じるので、当たり前でしょ、子どもなんだから、と思わず叫んでしまった。そうこうするうち3名の小動物学校5年生女子の位置情報はトーキョー駅に移動しているらしい。ポチの父親はすでにトーカイドー線に乗って捜索に向かっている。

ここまでくると、クマは心配することもなかろうという気になっていたが、いつ警察からお呼びがかかるかわからないし、車で迎えに行くこともあろうから、晩酌もできない。夕方から行方の分からなくなった3名が、9時過ぎになってトーキョー駅付近のコンビニでお菓子を買ったところでポチのパパに発見された、という連絡が入った。晩酌もせずに待機していたクマはズシ駅に迎えに行った。荷物はお菓子のいっぱい入った袋が増えて、子ども達と恐縮したポチのパパが降りてきた。やったな~。。

起きて待っていたロバから、お小遣い全部お菓子に使ったの?と聞かれて、まだ2千円残っているとノラが答えている。それじゃあもう一回家出できるわね~とロバに言われ、ノラは黙ってしまった。なんでも、降りた駅はレンガ造りでお城のようだったというから、トーキョー駅に間違いはなさそうだが、駅の外へ出るのに難渋し、出たらどっちへ行ってよいかわからないし、道に迷ったという。どこに行くつもりだったのだろうか。。住む家が見当たらず、テントも持っていない、クマなら皆を泊めてもよいと言うだろうから、家に帰るつもりだったという。。なんだ、それならお泊まり会にすればよかろう、トーキョー駅まで行ってお菓子買って帰ってきたのかい。

人騒がせで、奇想天外な子ども達の発想である。しかしながら、ポチとプチが家出したい心境を周囲に知らせる事になった。ポチの父親が、子どもの気持ちを聞いてやりますよと言っていたのが、クマの心を少し軽くした。2名とも家で相当絞られたらしく、翌日は両者とも学校を休んだが、これは親子関係の調整に費やしたのだろうか。ノラはいつも通り登校して、ひとり学校で担任の先生に事情を聴かれたそうである。家のノラは野良育ちと呼ばれ、乳幼児期をいわゆる施設で暮らしていた。クマに引き取られてからは、のほほんと過ごしてはいるが、満たされない心や拠り所のない不安感などが根深いことであろうと見ている。みんな、いろいろ抱えて生きている。