日本という洪水

クマは、春の訪れには、冬眠から覚めた感覚になる。とにかく忙しくて眠らなくてはとても身が持たない冬だった。ドイツにいれば、今頃は野原でタンポポや行者ニンニクにイラクサなど食卓のための採集をしていた。雪が溶けた窓を磨いて、窓辺に草花を移す時期だ。ウールのセーターを仕舞おうと洗濯をしていて、日本の洗濯機は水しか出ないことに慣れてきた自分がいた。

とてもたくさんの小さな違いが、洪水のように押し寄せてきて、溺れそうになりながら暮らしてきた。冬眠から覚めたら、急に地面に足が届いている気がしてきた。洪水が引いて、地面に乗っかっている物や者がわかるようになってきた。わかると楽しい。この頃クマはなにやら楽しい。

家族が多いから働いてばかりいるのに、大好きな日向ぼっこや踊ったり歌ったりのんびりする暇がないのに。働いているときに、日向ぼっこして、躍っているような面持ちでいればよい。どこに行かなくてもよい、働いていれば楽しい。ここにいても、あちらの情景を想い描くと幸せな気持ちになれる。便利になった。

異文化に長く暮らすことは、孤立無援で孤軍奮闘する事だった。そうしながら、自分と他者とか、暮らし方と文化とか、自然との関わりとか、ありとあらゆることの違いを、少しずつ見いだしてきた。おかげで、最近は放浪しようとも思わず、大地に根を張るありがたさを感じている。先日、LAに住むゾウと久しぶりに電話で話すと、”ハーイ、クマちゃん!日本熊らしくなったね!”と開口一番に言われ、やっぱりねと思った。