ドラクマ ~冬の陽~

(あらすじ)
さすらいのシングルマザー浦島クマ、帰国後は家族との関わりがテーマの暮らしだった。どうやら、ただのさすらいのクマに戻す時が来たようだ。宇宙の采配は、クマにかなりの自由裁量を託し、クマの器を試している。

*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*

言葉にならない時がある。解答が出ていないのだ。クマが帰国して家族と深く関わりを持つ暮らしが2年半続いている。ドイツの森の穴ぐらにドラと住んでいた頃は、自分の中に静かに深く入り込むばかりだったように思う。家族とは、濃密なやりとりを通して何事かを経験し練習し成長するための課題ではないだろうか。

ウマが歳をとり、すっかりロバになり、そろそろウバになりそうなので、適当な山に運ぼうかと考えている。一緒に住んでいると余計に依存するようになっていけない。老いては子に従え、立派な大人がそんなバカな話はあるまい。病気になったらどうする、と心配をわざわざ作る。親の恩とか孝行とか、世間の通念や一般常識という物は、いつも取り払って考えなければいけない。そういった類のものは、世間の誰かが造ったのだ。自分の中に答えはある。

小さなノラを拾って育てて行くのは難儀である。始めっからわかっているでしょ、とロバは鼻で笑っているが、クマは何事もやってみなけりゃ何がどう大変かわからないのだから、とにかくやってみる。そしてやりながらこりゃあ大変だ、お手上げだ、そろそろ潮時だと感じている。自分が産んだドラは一心同体で育つから、たいてい見当がつくが、ノラは全く予想外なのだ。ノラには親に育てられた経験がない。ドラを怒鳴りつけても屁の合羽だが、ノラは押入かどこかに姿をくらましてしまう。

父親のヤギには、ノラを野に捨て置いた相応の事情という物があり、クマもそれを承知して拾ったのだ。端から見ていかに頼りなかろうとも、父親と一緒の時のノラは寛いでいる。稀にノラがクマに甘え、クマがノラを可愛がっていると、ドラが大きいナリして、猛然と焼き餅を焼いてくる。なかなか七面倒くさい。思春期以降、壊れたおもちゃ状態のドラは、思うように動かず一緒に遊べないばかりか、しばしば暴走するようになり、これも不用品として処分する時期かと思っている。

子育てを終えたクマは、またただのさすらいのクマに戻るのだ。今回の家族との濃厚な絡みは、愛着や執着を手放すレッスンかもしれない。形はどうあれ、気持ちの中で綺麗さっぱり切り離してしまうことだ。

皆出かけたお天気の休日、クマは朝風呂にゆっくり浸かり、暖まって上がると浴室の天井から床まで磨き、排水口もすっかり掃除して、湯船に戻って今度は自分の頭のてっぺんから足の裏まで綺麗にした。

宇宙は神様の壮大な実験室。今もどこか彼方で、さいころ振ったり、フラスコをかき回して、雲行きを眺めては、大いに愉しむ神様がいる。神様たちのお遊びにまたつきあわされている☆