ドラクマストーリー ~北のモリノクマ~

クマがモリノクマからの誘いで北に踊りに行ったのはお盆だった。今回は白神の巨木たちに会いに来ないかというので出かけた。クマの出で立ちは着物に足元は地下足袋で、久しぶりの新幹線に乗った。アキタ駅に着いたら、局地的な集中豪雨が襲ってきたので、待機するようにとモリノクマから連絡を受けた。お昼を食べて豪雨が過ぎ去るのを眺めていた。在来線で海岸線を北上する頃には夕焼け空が広がっていた。白神のお山の懐に着いたときは、雨などなかったかのような様子だ。モリノクマが居所の豪雨で来られなくなり、独り宿でお山に抱かれる心持でよく眠った。

翌朝は散歩から始まった。初めての土地だ。周囲から歩き回ることで己の居場所を確認できる。静寂な山道を登りだしたら、なんと後ろからダンプカーが唸りながら近づいてくる。あっけに取られていると、治山ダム工事中という妙な名前の看板が立っている。ここでもお金儲けだ。もう、これ以上を山を崩したり川を止めてはいけないのに。城跡に上ってみるとぽっかりと草原があって、眼下に北の海が͡木の間隠れに見え、荒波の音がこだましている。

モリノクマが、食料と犬こたちを満載にしてやってきた。たくさん料理をして、クマにお腹いっぱい食べさせると、今度は犬こたちの面倒を見ている。犬こたちは皆、保護犬である。村で虐待に遭っている犬こをほっておくことができないのである。モリノクマは生き物の命を救うことに特命を帯びているように行動する。それに対してクマは生き物の生き死には、あまり頓着しない。それでも両者は互いの在り方を尊重し、双方が学ぼうとしている。

モリノクマの車に、クマは犬こたちとともに乗り込んで、白神のお山に向かった。昔、地震の後に出来たという湖が点在している。原生林の中へ分け入る。元気な犬こと連れ立って駆ける。街暮らしのクマは、普段はカメレオンテクニックを使って、街に馴染むようにケモノ気を騙しながら暮らしている。しかし、ここでは縄文が息づいており、山にはケモノ気が漂っている。見上げる巨木たちは、とてつもない生命体である。クマは蕗の葉の下のコロボックルかシシ神の森の木霊になったような気がした。

モリノクマの友人にゲラという写真家がいる。白神のお山に冬でも立てこもり、湖畔の宿は今にも水没しそうに傾いている。憑かれたという言葉のままに写真を撮っている。ゲラの写真はお山に吹く風を捉えている。生き物のそのままが写真の中で生きている。対話の手段がレンズで、捉える映像が言葉になる。幾年月をお山で過ごしてきたのか、クマは知らない。ゲラに撮ってもらった何枚かを持って、クマは家路についた。

 

海辺の街のクマの家の裏を少し上ると、住宅地の一角に、突如として森への入り口がある。人家がまばらになって徐々に途絶え、森へと通じる道になるというような悠長さがない。スイッチを切り替えるように住宅地から森へと入り、間もなくくのいち峠へさしかかる。思考も切り替えられる。気候も似ている。局所に集中して雨風雪が降りかかる。場も事象も急激な変化を起こす世の中になってきた。世界規模のこの変化に加速度がついているような気がする。

それでもなお、何時に何処で誰と何をするか決まっているのが仕事であり、毎日それをこなす事が大切な至上命令である世の中だ。すると突然、天災人災が起こった時にどうするのか?これに、組織がマニュアルを作って対応すれば済むわけでもないであろう。峠を歩いていて、背後から吹き矢が飛んできそうな気配を感じる感覚、生き物がわが身を守る術が不可欠であろう。野性の術を磨き培う場、朝夕のわずかな時間の峠越え、風を訊き天を仰ぎ草木を嗅ぐ、今朝もクマは地下足袋履きで森を抜けて仕事に行く。