クマの通勤路 続編

まだ薄暮れ時だからよかろうと油断したのだが、かえって面倒な事になった。山道の真ん中にぼんやりとケモノがうずくまっているように見える。タヌキぐらいの大きさだ。正体を確かめようと恐る恐る近づくと、それは大きな石だった。真っ暗闇なら、物体はよけて通るだけで、石でもケモノでも判別がつかないので気にならない。足元を見つめるだけで精一杯だったのに、薄暮れ時は周囲がおぼろげに見えて、かえって戸惑う。くノ一峠は日没後には漆黒の闇の森に包まれて、吹き矢でも飛んできそうな気配となる。クマの家の裏山からカマクラに通じる最短経路であり、下駄ばきか時に素足でヒタヒタヒタと野性を保つには恰好の場である。

ドキドキしながら進んでいくと、突然、向こうから落ち葉をガサガサと言わせて何者かやってきた。ご丁寧にヘッドランプを照らし、クマを凝視しているのだ。こちらからは目がくらんで何も見えない、たまらずに”オーッ!”と叫んでしまった。相手もひるんで立ち止まったが、物も言わずにクマを遠巻きにして通り過ぎていった。挨拶ぐらいしてもよさそうなものだ。

秋は肝試しに向いている。太陽は釣瓶落としで辺りが俄かに暗くなり、うすら寒く物寂しく、落ち葉まで落ちている。それにしても、こんなに肝の小さいことで、世の中どうやって渡っていけばよいのだろうか。。。

カマクラ時代からある道の山側は、壁をくり抜いたようなお堂があって、ナンダラ堂と呼ばれている。谷底は火葬場になっていて、多くの魂があちらに渡るので、絶えず煙が上がっている。カマクラ時代からの朽ちた身体が土中に溶け、現代の身体が煙となって大気に混ざり、今ここに在る事を実感しながらその道を通る。すると落ち葉もクマも地球上にある材料から出来上がっていることに気づく。そのうち葉っぱになって転がっているかもしれないのだ。地球上にある者達は、カメレオンにもナポレオンにもなれる。

秋の行楽シーズンには賑わう史跡巡りの道のせいか、台風が通過した後も綺麗に整備された。朝のくノ一峠では、誰にも出会わない。引き締まった空気を抜け森の外へ出る。視界が開けて、眼下に箱庭のように資材置き場と住宅地が広がり、向こうに雪をいただいた富士山が鎮座している。